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わくわく企画

夕張遠征

時は1890(明治23)年。 『炭鉱』で栄えはじめた街、『夕張』

116,000人をも超える人口を築き上げ、国内有数の産炭地として盛況を誇った場所だ。

時は経ち、2007年現在。 今では約六百三十億円の巨額負債を抱え行き場を失っている街。

「財政破綻」という言葉をここで使わなくしていつ使うものか!と感じさせる今日この頃。

この街を救うべく、2007年3月28日。 3人の救世主が立ち上がった。

メンバーは「YUKI」「KEN」。そして「タロー・ハッサム」

「目には目を」「歯には歯を」そんな、ハンムラビ法典を教えに、

「石炭で活性化したならば再び活性化させるなら石炭を」

と、言うことで僕らは『夕張』に『石炭を』掘りに向かった。無謀すぎだよ

   

 

車のにキーをさし、エンジンをかける。夕張まで2時間。長い旅になりそうだぜ・・。

ってな感じであっという間に夕張に到着。結構遠回りしちゃったんだけどね

   

   

夕張

   

夕張駅の小ささをおもい知らされつつ、公園のトイレかと思ったマウントレースイで昼食を取ることに。レースイはでけー

   

食堂のおばちゃんに「今夕張で観光できる所はありますか?」と尋ねたところ・・

   

「今は何もないね〜。見るところね〜。まぁしいて言うなら、私たちの顔かな?」

   

どんだけ、見所無いのよー

   

と返答されたので、山芋海鮮掻揚げ丼を食べて即行去りました。俺は名物じゃないマイタケ蕎麦だったけどね

   

YUKIが去り際に言い残した言葉は、「おね〜さん!おいしかったよ!!ごちそうさん!」

マイタケ蕎麦は普通だったけどね・・。

食堂のおばちゃんは満面の笑みで見送ってくれました。苦笑いじゃなかったか?



   

お腹も満足したところで、いよいよ石炭を掘る作業に入ります。マジでやるのね・・。

   

丁度よさげな沢を見つけたので、「ツルハシ」「スコップ」を片手に沢を降りていきます。

軽く20〜30mは降りましたね。斜度は60度以上あったと思います。おっさんはバテバテダッタヨ

一度こけたら下まですんなり行けますが、死んだら困るので慎重に降りることにしました。君達は勢い良く降りてたよね(笑)

   

これも全て、夕張を救うための事。仕方がないことです。もう、辛いよー スコップが邪魔だよー

   

頑張ります。頑張れません!!

   

ようやくふもとに到着し、掘ります。 掘ります。掘ります。俺がね

掘って、掘って、堀まくります。俺だけなんだよ

   

    

まだ掘ります。掘ります、堀ま…。 疲れた疲れた疲れた

   



 

…あっっ!!!!!!!!



…なんと!!!



車の鍵を閉め忘れていたのです!!! 仕方なく諦めて、車に戻ることにしました。

残念ながら、石炭を発見することはできませんでした。もうへとへとです(苦)

   

あとちょっとでいけそうだったんですけどね。。残念。いや、無理だって(笑)

   

いや〜〜。。もしあの時、鍵さ閉めていれば今ごろ夕張はものすごい勢いで活性化していったに違いない。

一夜にして、『夕張ミッドタウン』になったこと間違いなしだったのに。 違うと思うぞ!!

   

本当に夕張には申し訳ないことをした。 あとちょっとだったのにな〜〜。 後、ちょっとだったのは俺の命だったけどね。

   

そして帰り道の出来事。下をご覧ください。

   

ヤリキレナイ川

   

ヤリキレナイ川

ご存知の方もいると思いますが、『ヤリキレナイ川』です。



僕らの住む街、新川。その名の由来ともなっている誇り高き河「新川河」があります。

新川は『二級河川新川水系』です。

…まぁ、世の中には新川より大きくて重要な河川は沢山あるからね。



…ん。

まって。

もう一回上の写真をみてみようよ。 看板の一番上を。

堂々と書かれてるね。

『一級河川石狩川水系』って。

   

そうこれが、『ヤリキレナイ川』です。

木の枝にかぶってよく見えないんですが、橋が架かってました。

でもよく見ると、「橋」ではなく、ただの「梯子」です。

   

もちろん 『二級河川』<『一級河川』です。

…新川は、ヤリキレナイ川に敗れました。

本当にやり切れないのはどっちなんだろうね。

1人で掘ってた俺だろうね

文・KEN、タロー・ハッサム 

   
 
 

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